しばしば、浄土真宗は浄土宗のことを、称名正因の異安心、つまりただ念仏を称えるだけで救われるとする誤った教え、とするが、実際はそんなことはなく、法然上人が三心具足の念仏を重視している以上、浄土宗においてもきちんとした人ならば、必ず三心具足の念仏を説いている。

また、浄土真宗は生きている時からの救いなのに対し、浄土宗は死んでからの救いだ、ということもしばしば浄土真宗においては言われるけれど、浄土宗においても光明主義などは生きている時からの救いや摂化を明らかに説いている。
また、証空も、即便往生という平生からの往生を説いている。
したがって、浄土真宗のみが生きている時からの救いを説いている、というのは、正確な事実とは言えない。

しかも、そもそも、親鸞聖人は、法然上人に対して絶対的な帰依を表明しており、浄土真宗を開いたのは法然上人だと言っているので、親鸞聖人の意識においては、二人の教えに違いは全く無く、一貫した同一のものと思われていたに違いない。
もちろん、親鸞聖人とはやや異なった法然上人の受け止め方が、浄土宗の聖光上人や西山上人には見られたのだろうし、必ずしも親鸞聖人の教えイコール法然上人の教えとは言い切れない部分もあるのかもしれない。
しかし、親鸞聖人の意識としてはそのようなものだったろうし、浄土真宗は法然上人への異議ではなく継承として成り立ったものであることは紛れも無い事実である。